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貴船神社

水神である高龗神(たかおかみ)様と山神の娘の磐長姫様をお祀りする水と山の神社。古くから祈雨の神として信仰された、全国に約450社ある貴船神社の総本社。

御祭神 高龗神(本宮・奥宮)

    磐長姫(結社) 

参拝日 平成25年11月24日

    平成27年11月15日


創建の年代は不詳、社伝によれば反正天皇の時代としている。神倭伊波礼琵古命(後の我が國の初代天皇)の母である玉依姫命様が黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神をお祀りしたのに始まると伝えている。

社名の由来は黄色い船の「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命様が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝える。また「氣の産まれる根源」が転じて「氣生根(きふね)」になったともいう。

永承元年(西暦1046年)、出水により社殿が流失し、天喜3年(西暦1055年)、現在の本宮の地に社殿を再建・遷座して、元の鎮座地は奥宮とした。長らく賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされてきたが、これはこの社殿再建が契起となっているとする説がある。近世以降、それを不服として訴えが続けられ、明治以降になってようやく独立の神社となった。

鞍馬寺との関わりも深く、日本後紀に延暦15年(西暦796年)、東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に貴船神社の神が現れ、鞍馬寺を建立するよう託宣したと記されている。

貴船は紅葉の名所でもあり、秋の紅葉シーズンにはかなりの参拝客で賑わう。自分の初参拝はもう10年以上前、その頃は秋の紅葉シーズン(たまたま重なった)でもまだまだゆっくり本宮から奥宮までの道を散策できる余裕があったのだが、昨今のブーム?でかなりの参拝客が訪れる為、あの狭い道を通ろうとする車の台数が半端ない。今年の(グレゴリオ暦)8月に参拝しようと昼過ぎに訪れた時には大渋滞で車がほぼ動けず、参拝をあきらめた。

貴船神社は貴船川に沿って下流から順に本宮・結社・奥宮と建立されているが、古くから伝わる参拝順路の「三社参り」は本宮→奥宮→結社の順である。(自分は今の所交通の関係上本宮→結社→奥宮と参拝している)

古くから祈雨の神として信仰され、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されていたが、いつの頃からか実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納され、このことから絵馬が発祥の地とも言われている。

また、縁結びの神として有名だが、その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。

貴船神社の丑の刻参りを有名にしたのは、おそらく室町時代の謡曲「鉄輪(かなわ)」ではないかと思われる。「鉄輪」は自分を捨て新妻を迎えた夫の不実を恨み、貴船神社に日参し願を掛けていた女が「頭に鉄輪を頂き、その三本の足に火を灯し、顔に丹を塗り、赤い着物を着て怒る心を持てば鬼となり、恨みを果たせる」と貴船明神の神託があったと告げられると急に鬼女に変わり、走り去るが、その男は陰陽師・安倍清明に祈祷を依頼しており、間もなく凄まじい空模様の中悪鬼となった女の霊が現れ、夫の心変わりを責めるが、安倍晴明の祈祷により心を残しながらも退散するというあらすじである。

ただ、「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは、元からの心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無いと思われる。

付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。

(以下工事中)


そらみつ大和の國

我が国は、そらみつ大和の國 言霊の幸ふ國 とこしえにこの大和の國(日本)が続いていくよう願いながら、自分が惹かれるもの、必要だと感じるものを綴ります

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